2012年05月29日

石田三成ゆかりの地めぐり(1日目:安土・長浜)

5/23〜25にかけて、拠点とした彦根の他、
安土・長浜・関ヶ原への旅行をしてきました。
るるぶ滋賀 びわ湖’12〜’13 (国内シリーズ)

るるぶ滋賀 びわ湖’12〜’13 (国内シリーズ)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ジェイティビィパブリッシング
  • 発売日: 2012/01/20
  • メディア: ムック


私はゲーム(戦国BASARA・戦国無双)の影響で
石田三成を好きになりました。
(最愛の戦国武将は竹中半兵衛です)

ゲームをきっかけにして
史実の(本物の)三成さんにも強い興味を持つようになり、
同行者の厚意もあって、今回、
三成に関係するゆかりの地をメインに回ってきました。

同行のゆうさ理姫さんは、
リア友であり、いわゆる歴女仲間でもあるのですが、
好きな時代が違います(彼女は主に幕末)。
なので今回は、私が行きたかった所に
彼女に付き合ってもらう旅になりました。


以下はその日記です。

このブログをお読み下さった方々に
どんなことがあったのかをお伝えしたい
旅行記のようなレポートです。
しかし、日記も兼ねていますので、
個人的なくだらない記述や写真もありますことをご容赦ください。────

私は生まれも育ちも関東なので、
西(具体的に言いますと静岡から西)については
未だによく分かりません……。

戦国BASARA3で三成に本格的にハマった時、
こうやって彼ゆかりの地を回りたくて、
「佐和山(彦根)と関ヶ原を一日で見たいな」と
本気で思ったこともありました。
県が違うというのは最初から分かってたのですが
(佐和山・彦根は滋賀、関ヶ原は岐阜)
もっと気楽に行けるんじゃないかと
勝手に想像していたんです。

今回、関ヶ原観光を三日目に据えました。
実際に電車に乗ってみたら
彦根→米原→関ヶ原で、一時間も掛かりませんでしたので、
移動だけを見たら充分可能そうでしょうが、
まず無理だということを痛感しました。

特に、関ヶ原は歩く距離が長く、
史跡を全部回ろうと思うと、
一日どころか二日は確実に必要そうなので、
上記のように思ったことを笑い飛ばしてしまいました。



では、初日です。

五月二十三日、午前六時すぎ。快晴。
大宮発の夜行バスにてJR彦根駅前に到着。
早速、駅前で、井伊のお殿様の銅像を発見!
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事前にネットで調べていたので、覚悟はしていたのですが、
駅前に時間を潰せそうなお店(ファミレスなど)が
一軒もありませんでしたww
コンビニは駅の下に一軒だけあったのですが、まだ開店前でした。
とりあえず、宿泊先のホテルのご許可を得て身支度をさせてもらい、
大きな荷物を預けた後で、
まず最初の目的地とした安土に向かいました。


その前に、ホテル入口脇にあったBSR三成の“佐和山”ポスターと、
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ホテル1階エレベーター前にあった
戦国無双の佐和山主従(三成+左近)による
“MITSUNARI 11”のポスターを発見してしまい、
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朝から爆笑+萌えまくり!!

特に三成イレブンのポスターは、
エレベーターを使う度に二人がお出迎えしてくれるようでしたので、
無双シリーズでこの佐和山主従を特に好きな私にとっては
うはうはものでした。
三成のモノローグがたまらないです*・゜゚・*:.。.(*´ω`).。.:*・゜゚・*:

それと、ロビーにひこにゃんのぬいぐるみがありましたので
記念撮影。
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ひこにゃん、ひこにゃん、ひこにゃんにゃん♪



今回、旅行をしようと本格的に決めてから
当日を迎えるまで、
日数がそれほどありませんでした。
彦根城を見学することと、佐和山に登ること以外、
これといった明確な予定を立ててなかったのですが、
三成に関係がない土地である安土に行きたい旨は、
私からゆうささんに事前に希望を出していました。
この時は、時間が早過ぎるせいで
彦根市内の名所がどこも開いてないことから、
少し遠くに出て観光しようと決めたんです。

私、最初に好きになった戦国武将が織田信長だったので、
安土の地に出向くのは幼い頃からの夢でした。
バンドの全国ツアーに合わせて
日本各地をあれこれ旅行するようになった頃、
もう安土城が現存せず、
再建ですら見られないと知った時はショックでしたが、
今回、その地を踏むことができて嬉しかったです。
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駅前には、信長公の銅像がありました。
1_04nobu.jpg

駅に置かれていた観光用の地図を片手に、
いざ、歩き始めましたが……ここで一つ大きな問題が。
私、安土城跡って、
山の中で管理されていない状態
(つまり出入り自由)かと勘違いしていたのですが、
麓には門があり、入山できる時間が決められていて、
午前九時にならないと開かないらしいと気付いたんです。

駅から安土城跡までは、だらだら歩いて三十分弱。
興味を持てそうな他の観光名所が特に見当たらなかったので、
どうしようかと思いましたが、
安土山の麓には石垣の跡が多々残っていたり、
トイレや清涼飲料水の自動販売機が併設された休憩所が
その時間でも解放されていたりしましたので、
そう苦もなく待つことができました。


そして、午前九時を迎えたところで、いよいよ入山。
杖を使うと良いとのお勧めを入口で受けたので、借りました
(無料です)。

そもそも、今回、安土に行こうと思ったのは、
BS朝日の城番組を偶然見たのがきっかけの一つでした。
前から行きたい!と思っていたところに、
その番組を見て刺激を受けて調べてみたところ、
「あぁ、安土って彦根からそんなに遠くないんだ」と
気付いたからなんです。
ナビゲーターの板東三津五郎さんがそうされていたように
私も幅の広い石段を昇ったり、
大手道の左右にある屋敷跡
(豊臣秀吉や前田利家や徳川家康)や
石段として使われた仏様を見たりしながら
一生懸命昇りました。
段数については失念してしまいましたが、
かなりの数があるので、体力の無い私にはきつかったです。
体力が無いとの自覚がある方は
覚悟を持って昇られると良いと思います。

道が整備されているので、ぱっと見、
山道を登るよりははるかに楽なんですが、
石段がずらずらと続くのをひたすら登っていくのは
やっぱり辛いです。
(旅の終わりに、
ゆうささんに「どこが一番辛かった?」と尋ねたら
ここだったとの返答を貰いました)

写真は、お山に入ってまず最初に見える石段です。
1_05ishi.jpg
こんな感じで、ずっと上まで続いていますww
私が右手(向かって左の手)に持っているのが、
お借りした杖です。

石段が終わると山道になりますが
大したことはありません。

信長廟の上に天守台跡があり、
ここからは良い眺めが見られます。
汗ばんだ身体に受ける五月の薫風は
むちゃくちゃ気持ち良かったです!
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帰りは、順路に従い、途中から別ルートを通りました。
信長が安土城内に作ったとされるお寺の横を通って
急な石段を降りました。
ここが結構怖いので、
足を滑らせないよう、注意が必要です。
また、その先はちょっとした山道になります。
危険を感じるほどではないですが、
ゆうささんの足に小さな毛虫が落ちてきたそうですし、
小さな虫がたくさんいましたので、
苦手な方はご注意を。
(とはいえ、翌日の佐和山の山道っぷりを思うと、
比較にならないぐらい楽です))

杖を使うと、足だけでなく腕の力も使って登れるので
本当に楽です。
私はずっと日傘を差して登っていましたので
(つまり、日傘を差す余裕を持てる程度の道)
左手に日傘、右手に杖というスタイルで頑張りました。



山を降りた後は、大きめの道路を渡り、
田んぼの中の農道を通って
滋賀県立安土城考古博物館と安土城天主信長の館に移動しました。
この旅行全般がそうだったのですが、
移動も移動先も、
建物内以外での日陰はほとんどありませんので、
真夏でなくとも帽子や日傘、日焼け止めが必須です。



博物館での見学を終えると、午前十一時半ぐらいでした。
お腹が空いたので、併設されたレストランでお昼を食べました。
私もゆうささんも、“信長うどん”をチョイス。
鶏肉を「かしわ」と表記しているところに、
「おお、関西だ!」と感動してしまいましたww
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美味しかった!



博物館と信長の館、その後に行った安土城郭資料館も、
正直に言うと、見応えがあまりなかったので、
「信長が特に好き!」という方以外は
スルーしてしまっても良いかもしれません。
(特に資料館は、喫茶店も兼ねているような小さい所で、
ビデオ資料と安土城の模型の断面しか見るものがないです)
ただ、信長の館には、
原寸台の天守閣が再現されていて
「こんな感じだったんだ……」と実感できます。
(というか、「実感できるだけ」との言い方が
一番適切かもしれません)
大河ドラマ「江」の撮影でも
この天守閣が使用されたようです。

信長の館内では、写真撮影禁止のマークがあったので
諦めていたのですけれど、
貼り紙に「記念撮影ならOK」とあったので
記念撮影として撮らせてもらいました。
(明るいですが、フラッシュはたいてません)
1_07nobu.jpg
撮っている最中、近くにいらっしゃった係員の方からは
(当たり前ですが)何も言われなかったのですが
やっぱり禁止のマークが目に入ると
「い……いいんだよね?」と不安になりました。


博物館・信長の館と、資料館の間は
延々と歩くので、三十分ぐらい掛かりました。
尤も、資料館は駅の裏側にありますので、
駅に戻るついでに見たことになります。



この時点で、午後一時半過ぎでした。
時間が結構余ったことから、
私が勝手に二日目もしくは三日目に予定していた長浜に
思い切って行ってみようという気になり、
電車で一気に移動しました。
(長浜にも行ってみたい旨を伝えたのは
夜バスに乗る為にゆうささんと合流してからです)

ネットで検索してみたところ、
今回の旅の拠点である彦根と長浜の距離が
地図を見て想像していたよりも遠そうでなく、
電車での所要時間もあまり掛からないようだったんです。

しかも、ここで予定を繰り上げることができると、
三日目が完全に空きますので、
当初は予定していなかった(けれど、気にしていた)
関ヶ原観光を実現させられると
ふと気付いたからでもありますww
(最初に書きました通り、無事、三日目に実現できましたww)



長浜は、私が愛する武将・石田三成のゆかりの地です。
行きたい場所は
・長浜城(歴史博物館)
・石田会館付近(三成生誕の地/供養塔/産湯の井戸)
・観音寺(「三献の茶」の舞台)
でした。

天守閣を再建した長浜城は、駅から割と近いのですが、
繁華街とは逆(琵琶湖に面した方)にありました。
また、石田会館や観音寺は
地図で見ると距離が結構ありそうで、
バスもしくはレンタサイクル、タクシーで向かうことを
想定していました。
特に観音寺は、事前に見たガイドマップにて
山越え・トンネル通過があると分かっていましたので、
九割ぐらい、タクシーで行くことを考えていたんです。

しかし、駅の観光案内所の職員さんにお聞きしたところ、
石田会館や観音時への道は分かりやすい上に
(駅からまっすぐ一本道)、
前者は距離にして大体五キロ前後だということで、
急遽、レンタサイクルを使用することに決定。
駅前で、午後五時までという契約で、一台五百円で借りました。

長浜城歴史博物館の見学は、
石田会館や観音寺から帰ってきた後で、時間があったら
……ということにしました。


ちなみに、ここの観光案内で
私が「三成のゆかりの地を回りたいんです」と
尋ねたところ、
「あ、三成さんですね」とのお返事を貰いました。
そう、私が三成を呼び捨てにしたのに、
職員さんがわざわざ「さん」付けで呼んだあたり、
三成に対する愛というか、
彼という偉人を大事にしているんだなーということを
強く実感できました。
(私は、BSR三成が好きなのもあって、
呼び捨てが普通になってしまっています。
ちなみに、無双の三成については「殿」呼びです)



JR長浜駅前には
秀吉と三成が出会った三献の茶の像がありました!
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左が秀吉で、右が佐吉(三成)です。
台座のプレートには「出逢い」とあります。

勿論、BSRキャラとも無双キャラとも似ていないのですが
見ることができて幸せでした〜!


この頃から、空が曇天となり、日差しが弱まったものの
風が強く吹くようになりました。
向かい風でなく、横風で済んでいたのは
幸いだったと思います。
私もゆうささんも運動不足という点では同じだったのですが、
普段から移動で自転車を使っている私と
自転車に乗るのは久しぶりというゆうささんとでは、
馴れや体力の面で差が出てしまい、
市街地を出ても道幅が狭く、
併走するのは難しかったことから、
自転車に乗っている最中はほぼ孤独でした。

その移動中、町のあちこちで
「ここは石田三成の生誕の地です」という
看板を見かけました。
ぶっちゃけ、
今回の旅で最も強く“三成への愛”を感じたのは
この長浜でした。



「まっすぐの一本道をひたすら進む」という言葉を
観光案内所の方から頂いていたものの、
「これで本当にいいのかしら」と不安になった頃に、
目印である湖国バスの「石田」停留所に到着しました。
当時はきっと、同じ石田姓の方が
近くにいっぱい住まれていたようですが、
もう「石田」の名前を見ただけで萌えます!
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向こう側のバス停も、当然「石田」です。


目印ともなる三成屋敷跡の石碑や旗が建てられていた他、
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こんなモニュメント(と呼んでいいのかどうか……)も
ありました。
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見辛い写真ですみませんが、
秀吉に佐吉(三成)がお茶を献上しているんです……!!
そこに、写真を撮った私が映り込んだという仕様です。

このブログ記事用に写真を加工していて笑ってしまったんですが、
この時の私、疲れているし、風は強いしで
いつも以上に酷い顔をしていたのに、満面の笑みでしたww
よっぽど嬉しかったんだなー+本当に嬉しかったよ!と
念願が叶って幸せだったのを、今さら実感してしまいました。
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ここから路地を少し入ったところに
三成の生誕の地に建てられた石田会館があります。
自転車だと一分ぐらいの距離でしょうか。
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開館時間外でしたので、中に入ることも、
誰かにお話を伺うこともできませんでしたが
来られたというだけでもう満足です!
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三成の銅像。
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いつもお世話になっています&ありがとうございます!


少し離れた場所にある石田神社。
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ここには、三成の供養塔の他、
直筆の歌碑や、辞世の句の碑があります (;ωと)
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歌碑「残紅葉 散り残る紅葉は ことにいとおしき 秋の名残は こればかりぞと」
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辞世の句の碑「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく我が身なりけり」
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上記の石田会舘までは、嬉しい気持ちも相まって、
内心でキャーキャー言っていたのですが、
さすがにここでは、萌え云々よりも
神妙な気持ちの方が勝りました。


こちらは、三成の産湯が汲まれたという言い伝えがある井戸跡。
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この井戸跡が、道の反対側というか、
石田会館などとはちょっと離れていたので
分かりにくかったです。
少し探せば簡単に見つけられる程度ですが、
地元の方に聞こうにも、人通りがあまりない道なので、
時間が無い私はちょっと焦りました。


ちなみに。
石田のバス停のすぐ近くに小さな酒屋さんがあり、
三成のお酒(原酒)や三成せんべいが売られていました。
この先の観音寺に行った帰りにお酒を買ったら、
(帰りも、同じ道をひたすらまっすぐ進む……)
お店番をされていた年輩の女性から、気さくそうな感じで
「あっち(観音寺)行ってきたん?」と聞かれました。

ここだけじゃなく、どこへ行っても
お店の方からは気さくに話しかけて頂けることが多く、
色んなお話を楽しく伺えて、とても幸せでした。



さて、ここからいよいよ観音寺への移動です。
長浜駅の観光案内所の職員さんの
「山の向こうに高校があって、
ここいらの子は自転車でそこまで通っているのよ」
との発言を受けて、
「それなら、私らでも自転車で行けるんじゃね?」と思い、
このレンタサイクルでの移動となったわけですが……。

ぶっちゃけ、JR長浜駅前から石田会館までの移動は、
「もしタクシーを使っていたら、お金がもったいなかったな」と
思える距離でした。
決して短くはないですけれど、
道はずっと平坦で、舗装もされていたので、
自転車で移動する分には楽だったと思います。
バスも、停留所にある時刻表を見たところ、
住宅街だからか、それほど本数があるわけではないので、
本当に、自転車で来て正解だと思っていたんです。

しかし!!
道がアスファルトで整備されていて、走りやすいとはいえ、
ここからちょっと進んだ所から、いよいよ山登りです。
「あ、登り坂になってる?」と気付いた時から
それは始まっていて、
自転車を漕ぐのが急に辛くなりました。

私は「一度止まったら、逆にその後が苦しくなる」と思い、
一定のペースを崩さずに、勿論、休まずに、
同じ速度でひたすらペダルを漕いだのですが、
ゆうささんは、途中で少し降りて歩いたそうです。
トンネルを抜けた先(もう米原)が、
観音寺への入口みたいになっていて、
自転車を止めて待てるスペースがあったので、
先に着いた私は、ゆうささんが着くのをひたすら待ったのですが、
息はぜーぜー切れてましたし、汗も相当かきました。
山道は、一旦、登り始めると、
緩い坂道がひたすら続く状態です。
時間にして十〜十五分ぐらいだった記憶がありますが、
その間ずっと休みなく上り坂を移動していたので
とにかく大変でした。

また、トンネルは、長さは大したことがないものの、
車道と歩道が分かれていませんので、
(境界の白線は引かれています)
トラックといった大型車両が横を通ると怖いです。
帰る時は、そういった車が通らなかったので
心理的に楽でしたが、
行く時は、ちょっとヒヤヒヤしてました。
多分、車のドライバーさんも
自転車を必死に漕いでいた私が怖かったと思います。


ゆうささんが合流してから、その場で少しだけ休み、
観音寺へと向かいました。
トンネルを出てから門までは、数分の距離です。

観音寺は、長浜駅前にも像があった
秀吉と三成の出会い
──“三献の茶”の舞台とされる場所です。

鷹狩でこの寺に寄った秀吉が茶を所望したところ、
この寺に預けられていた佐吉(三成の幼名)は
まず、ぬるいお茶を大きな茶碗でなみなみと出します。
飲み終えた秀吉がお代わりを求めると、
佐吉は先程よりやや温度の高いお茶を、量を減らして出し、
秀吉が再びお代わりを頼んだ時は、
熱いお茶を小さな茶碗で出した
──この気遣いが高く評価されたことにより、
佐吉は秀吉に認められます。

長浜城は、出世城との別名がある通り、
この後で天下統一を成す秀吉の最初のお城で、
三成はその頃に上記の一件で彼に見出されたようです。
ご存知の通り、三成も、
最終的には現代の教科書に名前が載るほどの
超有名人となるわけですが、
この長浜は、彼の生誕地があるだけでなく、
武将としてまさに出発地点なわけです。

私もこの話は昔からよく知っていたのですが、
三成の逸話であると気付いたのは、
BSRで三成にハマった後だったので
「え? これ、三成の話だったんだ」とびっくりしたものです。
創作ではないかとの疑いも高い話ですが、
もしそうだとしても、
浪漫と萌えを感じられることに変わりはありません。

門をくぐってすぐの左手に
三成が水を汲んだとされる井戸に繋がる道が見えます。

用があるのは、ぶっちゃけそこだけだったのですが、
境内にある地図を見ると、
お寺の中を本格的に見ようとすると大変なものの
(なにせ本堂の裏がお山)
本堂のみならば、参道をまっすぐ歩けば良いらしいので、
そこは見ようと思い、てくてくと歩きました。

緑あふれる鬱蒼とした感じが分かりますでしょうか。
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緑がいきいきとしていて、怖さを感じるぐらいでした。
お山(自然)に、どーんと圧倒される感じがしました。

子供の三成(佐吉)がここにいたんだなーと思うと、
感激も萌えも、ひとしおでした。


そこから戻って、後回しにした例の井戸へ。
1_24ido.jpg
普通に考えると、その時の三成が
本堂から駆けてここまで水を汲みに来たとは
とても考えにくいのですが、
きっと当番制になっていて、
三成が瓶に水を汲んだ時も頻繁にあっただろうと想像して
一人で勝手に萌えていました。



さて、この観音寺が
レンタサイクルでの観光の最終ポイントでしたので、
来た道をこれから延々と引き返し、長浜駅に戻ります。

行きでチェックしていた石田停留所前の酒屋さんで
三成の日本酒を買った後、
私はファッションセンターしまむらに、
ゆうささんは湿布を買いにドラッグストアに寄りました。

というのもですね、
これまでの写真でもお分かりの通り、
私、山歩きに不向きな格好で今回の観光に臨んでいたんです。
(靴はさすがにスニーカーです)

今回、二泊三日分全てにおいて、
エミリーテンプルキュートのNOP
(ノースリーブワンピース/要するにジャンスカ)で
揃えたわけですが、
安土城跡の散策を終えた時点で
「明日の佐和山は、『山レベル』的に
これよりもっと凄いんだよね……」と
さすがに心配になったんです。
服が汚れるのは覚悟していたので、別に構わないのですが、
ズボンでないと登れない
(大股を開いて上がるとか)箇所があるのではないかと
急にびびったわけです。
なので、行く途中で「しまむら」を見つけた時点で、
時間があったら立ち寄ってズボンを買おう!と
思っていたのでした。

私、普段はパンツをほとんど履かないので
(持っていても、太股が膨らんでいて丈の短い
“王子パンツ”みたいなのしかない)
後でパジャマとして使えそうな柔らかい素材のものを買いました。
七百円の臨時出費!!
でも安い! さすがしまむら!



レンタサイクルの返却は午後五時がリミットでしたが、
四時十五分には返せたと思います。
(駅の反対側にある/長浜城側にあるレンタサイクル屋さんは
午後六時までだそうなので、
時間に余裕が無い方はそちらの方が宜しいかと)

自転車を借りてからの所用時間ですが、
行きはこんな感じでした。
長浜駅→(徒歩で五分)レンタサイクル屋さん
→(自転車で三十分)石田の停留所
→(自転車で二十五分/途中から山道)観音寺

観音寺から石田の停留所までの帰りは、
トンネルを戻ってからは坂道をぐんぐん下りますので、
二十分も掛からなかった気がします。
ペダルを踏まなくても勝手にスピードがついてしまうので
怖いなぁと思いながらブレーキを掛けてました。

ただ、上記の所用時間は、
ゆうささん曰く「速すぎ」と言われた速度での移動なので
(私は無理を全くしておらず、普通の速さでしたが、
ゆうささんには相当速かったらしいです)
普段から自転車に乗られていない方だと
プラス五〜十分ほど多めに考えた方が良いと思います。



そこから歩き、長浜駅の構内を通って反対側へ。
観光案内所の方にはご丁寧に教えて頂きましたので、
お礼も兼ねて、
無事に行ってきました&帰ってきましたの
報告をしたかったのですが、
丁度、他の方の案内をなされている最中だったので
できませんでした。
残念。



駅を出て正面にある小さな公園を抜けると、
復元された長浜城の小さな天守閣が見えてきます。
歴史博物館の開館時間は午後五時まで、
入場は午後四時半まで……とあって、
私とゆうささんが入ったのが、四時二十八分ぐらいww
本当にギリギリでした!!
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小さな博物館で、しかも閉館間近とあって
お客さんはほとんどいませんでした。
入口で、「二、三階(展示室のある階)よりも先に
最上階(五階)の展望室を見て下さい」とのお言葉を頂いたので、
その通りにしました。

そして、私たちはそこから外を眺めたんですが……
いやぁ……凄かった!!!!
美しかった!!
間近で初めて見た琵琶湖と、
そろそろ夕陽になるかというオレンジ色の小さな太陽がきれいで、
暫く言葉を無くすほど感動しました。

ここでのんびりしていると
下の展示室を見学する時間を取れなくなるので、
後ろ髪を引かれながらも、そこを早々に移動したのですが、
もし時間的な制約が無かったら
もっともっと長く、そこから琵琶湖を眺めていたかったです。

環境は違いますが、
秀吉も三成も、まず間違いなく
長浜城の天守閣から見える琵琶湖や夕陽を堪能したはずです。
この先、何十年、何百年経っても、
このお城を訪ねる人はこれに感動するであろうと考えると、
ここでは時の流れと普遍的なものが混在することに
しみじみとしてしまいました。

また、琵琶湖越しに彦根や安土の山も見えるので、
「あそこから来たんだ」と考えると、
不思議な気持ちにもなれました。


長浜城は、佐和山城といった近隣のお城と同様に、
解体後は彦根城の築材として再利用されていますので、
この博物館にも、残念ながら、
当時を偲べるものはほとんど残っていません。
しかし、秀吉が長浜城で書いたとされる文が存在し、
この博物館がそれを購入したのを受けて
「(文が)帰ってきた」とあったのは
この地に関係のない私でも嬉しくなりました。

三十分弱の時間でも充分だと思えるほど、
中の博物館はこじんまりとしていました。
しかし、最上階から展望はとにかく見事ですので、
石田会館などを主な目当てとされるミツナリストさんにも
お勧めします。



彦根の駅前は、居酒屋はそれなりの数があるのですが、
ご飯を食べるお店となると選択肢が限られそうなので、
長浜で晩ご飯を食べようと決めました。

朝からずっと言っていたのは
「近江牛を食べたい(でも無理はできない)」
ということでしたww
せっかくなので、美味しい近江牛を食べたいのですが、
きちんとした(認定を受けた)お店で食べようとすると
かなりのお値段がするらしいのです……。

そんな中、ガイドブックで気になっていたお店が
近江牛の認定店であるのに気付き、
メニューや値段といった詳細が分からないものの、
そう遠くないので行ってみよう!と決めました。

着いてみると、レストランというより、
ご飯も食べられるビヤホールでした。
「長浜浪漫ビール」さんです。

ゆうささんはビールを飲まないので
カクテルっぽいのを注文していましたが、
私はしっかり地ビールの「長浜エール」を頼みました。
病気療養で久しくお酒を呑んでなかったこともあり、
酔うのが早く、また、いつになく美味しかったです!
1_26gohan.jpg
私は、近江牛のすじ肉入りの混ぜご飯(上の写真)。
ゆうささんは近江牛入りの焼きカレーを注文。
美味しかったです!



それから彦根まで移動し、ホテルに戻りました。
ホテルでは、朝から登る予定の佐和山を始めとする
周辺の観光ポイントの再確認をしたり、
しまむらで買ったズボンの試着をしたりしましたww

当然のことながら、この日の晩は早めに寝ました。
後から休んだゆうささんが、十二時には寝たと言っていたので、
私は多分、十一時前には寝入っていたはずです。
おかげでよく眠れました。



二日目(佐和山城跡・彦根城観光)に続く!
http://himezakura.blog.so-net.ne.jp/2012-07-13

(10/12追記)
三日目(最終日)の記事もアップしました。関ヶ原です!
「石田三成ゆかりの地めぐり(3日目:関ヶ原古戦場)」
http://himezakura.blog.so-net.ne.jp/2012-10-12



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posted by さくら at 22:21| 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする